◎ あるがままを生きる

目先に囚われない巨大な生き方を「空」という

 〝照(しょう)見(けん)五蘊(ごうん)皆(かい)空(くう)〟とあります。照見とは真実の相が見えること、つまり仏の悟りをいいます。五蘊の〝蘊〟は、寄り集まってできる意で、構成要素ということです。五は、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の五つをさします。

色とは、ここでは色(しき)身(しん)のことで、肉体を意味します。受は、感受していく心の働きです。想は、何度も思い返して囚(とら)われる想念のこと。行は、思ったことを分別して心の中に業(ごう)を作り出していくことです。識は、分別したことの是非、善悪を認識する働きをいいます。

つまり受・想・行・識・の四つで、心の全体を表わしています。あわせて色(しき)心(しん)といい、五蘊とは、心と身体すべてを意味しているのです。

 〝皆空〟とは心も身体もみな空であるという意味です。空とは、あるものではなく、ないのでもありません。あるとかないとか思うのは心の囚われです。

空は囚われない心をさしているのです。すなわち照見五蘊皆空とは、身の心もみな空であるということを悟られたいう意味です。私たちが執着の心を生じるのは、自らの心身があると思うからです。

そして自らの心身に愛着してしまうからです。ここにある自分の心身は本来空であって、今仮にさまざまな因縁(いんねん)によって和合し、生じているにすぎないということを〝因縁仮和合(けわごう)の色心〟といいます。