治療から能力増強へ

 アシャンティの治療が成功してから、遺伝子治療分野は花開いた。
一九九〇年以来、何百という研究室で遺伝子治療が疾患治療法として研究され、臨床試験は五〇〇件以上、対象患者数四〇〇〇以上にもおよぶ。糖尿病、鎌状赤血球貧血症、ある種の腫瘍、ハンチントン病などに遺伝子治療が有効であることが示された。

動脈内にできた血栓除去にも有効だとわかった。

 遺伝子治療の目的は疾患を治療することだが、一方、人間の運動能力の増強にも応用可能だ。多くの研究で、人間の生命を救うための研究が動物の能力を増強するためにも使えることが示されている。
だとすれば人間の能力増強にも使えることとなる。

美容目的の遺伝子治療

不死の可能性

カロリー制限を模倣する

アインシュタインはつくれるか?

脳とロボットアームがつながる

赤外線やX線までも見えるように

脳同士で通信する

記憶を拡張し、認識力を増す

 一〇〇年こと、一〇年ごと、いや一年ごとに、変化のスピードはますます増していくようだ。洞窟絵画から農耕までは一万年。農耕から文字までは数千年。文字から蒸気機関の発明まではまた数千年。しかし、自動車の発明から月に行くまでは七〇年弱だった。

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの立体構造を解明してから、コーエンとボイヤーが遺伝子工学に初の成功を収めるまで、二〇年しかかからなかった。その後ヒトゲノムの地図をつくるのには三〇年もかかっていない。

 これと同じような加速度的変化が、今まさにぴったりと私たちに寄り添ってきている。自身のこころやからだをつくり変える力を与えてくれようとしているのである。

 この種の変化に歯止めをかけたいと考える人々もいる。環境学者のビル・マッキベンもその一人だ。もしも私たちが、周りの世界を変えていくようにこころやからだをも変化させてしまうようなことがあれば、人生の意味というものが見失われるではないか。

マッキベンはこのように危惧している。『人間の終焉 テクノロジーは、もう十分だ!』にマッキベンはこう書いている。「私たちは自分を地面につなぎ止めているまさに最後のおもりを、切り離そうとしている。もし本当に切り離してしまったら、私たちは何の意味もない真空状態のなかに黙って漂うことになるだろう」

 私たちには限界がある。その限界によって人間は定義されている、というのがマッキベンの考えだ。もしも限界を超えてしまったならば、そのときから人間ではなくなってしまうというのである。マッキベンはこの考えから、私たちに「もう十分だ」と言わせたいのである。しかし、これまでの歴史を通じて、私たちはつねに限界を越え続け、新しい能力を獲得してきた。
もしも人間が限界によって定義されているのだとすれば、私たちはとっくの昔に人間ではなくなっている。道具や言語、科学などのおかげで、狩猟採集生活をしていた先祖に比べてはるかに多くのものを得て、私たちのこころやからだの能力は拡張されているからだ。

 永遠に続く満足感は、神話的な理想郷や暗黒郷だけで見られるものだ。現実世界では、満足は何かを達成したときだけ、ほんのつかのま得られるものにすぎない。もしも満足が長く続いたとしたら、私たちは、成長したい、変化したいなどとは思わなくなってしまうだろう。
 この渇望、手の届く範囲を超えてそのさらに先まで達したいという想い、「現世では手に入れることができない」ものを入手したいという野望こそが、私たち人類世界をつくり上げてきた力なのだ。快適な生活ができるのもそのおかげだし、命を救ってくれる医学ができたのもそのおかげである。
また、この力があるからこそ、膨大な量の知識が結集されていく。美術も音楽も、哲学も、すべてこの力がつくり出したものだ。宇宙の謎の奥深くまで理解できたのもこの力があるためだ。だから、もう十分だなどと言わずに、つねにもっと先を求めるべきなのだ。それこそが、人間としてのふるまいなのだ。

 地球上に生命が出現したのはおよそ四〇億年前のことである。生命出現から三〇億年間は、単細胞の生物しかいなかった。多細胞生物が出現したのはそれからかなり後、約七億年前のことで、そのとき初めて生命の多様化が花開いた。

約五億四〇〇〇年前にカンブリア爆発が始まり、それからわずか数千万年のあいだに、現在の生物に見られる基本的なボディプランがすべてつくり出された。
なんらかの理由で、最初の三〇億年間近くは藻類や細菌程度の単純な生き物しかいなかったのが、またたくまにすべてが変化して、それまで見られなかった複雑さや多様性が登場した。
新しい生命形態が出現したが、それは単細胞生物や細胞のたんなる寄り集まりから、泳いだり、歩いたり、空を飛んだり、さらには自分たちを取り囲む世界を未熟ながらも観察し得る複雑な生物へのパラダイム変革を体現していたのだ。

 私たち人類は、まさに次の位相変化を象徴する存在である。私たち人類の出現には、生物学的に見れば、多細胞生物の出現と同じくらいの意義があるのだ。
チンパンジーは細菌からかけ離れているが、私たちは、それと同程度に、過去地球上に出現したすべての生命からかけ離れた存在だ。
自らこころやからだを変える力、子どもたちのこころやからださえも変える力、自らの発達を管理する力を持つようになったのは私たちだけだ。
  その力を駆使すれば、ただ闇雲に、広まりやすい遺伝子(訳注・いわゆる「利己的遺伝子」のこと)が自然選択されるに任せるのではなく、自らの発展進路を選択できるのだ。