稲盛氏の考え方検証・・・・素晴らしい!・・・・・・・・全く時空研流に近い


混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す

 私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない「不安の時代」を生きています。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。

やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、なかには犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。

 そのような閉鎖的な状況が社会を覆いつくしているのはなぜなのでしょうか。

それは、多くの人が生きる意味や価値を見いだせず、人生の指針を見失ってしまっているからではないでしょうか。今日の社会の混乱が、そうした人生観の欠如に起因するように思えるのは、私だけではないと思います。

 生きていくことは苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。

 しかしそのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練だと考える必要があるのです。労苦とは、おのれの人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を「機会」としてとらえることができる人―そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。

 現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。

 嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わったーそして大人になるにつれて忘れてしまうー単純の規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。

 人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないかー私はこのことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきたのです。

「考え方」を変えれば人生は一八〇度変わる・・・・ノイズの浄化が無いと変えれない。

 人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは、次のようなものです。

 人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力・・・・・ノイズが無い事前提

 つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の“掛け算”によって得られるものであり、けっして“足し算”ではないのです。・・ノイズの引き算が大。

 人生は心に描いたとおりになる、強く思ったことが現象となって現れてくるーまずはこの「宇宙の法則」をしっかりと心に刻みつけてほしいのです。

人によっては、このような話をオカルトの類いと断じて受け入れないかもしれません。しかし、これは私がこれまでの人生で数々の体験から確信するに至った絶対法則なのです。

 宇宙を貫く意志は愛と誠と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。

 このことは、宇宙物理学でいう「ビッグバン・セオリー」から考えても十分納得、説明できるものです。

人類に叡知をもたらしつづける「知恵の蔵」がある

求めたものだけが手に入るという人生の法則

 世の中のことは思うようにならないー私たちは人生で起こってくるさまざまな出来事に対して、ついそんなふうに見限ってしまうことがあります。

 けれどもそれは、「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、そのとおりの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うようにならない人生も、実はそ人が思ったとおりになっているといえます。

寝ても覚めても強烈に思いつづけることが大切

現実になる姿が「カラーで」見えているか
 物事成就の母体は強烈な願望である。あまり科学的とはいえない言葉ですから、これを単なる精神論として退けたがる人もいることでしょう。

 しかし思いつづけ、考え抜いていると、実際に結末が「見えてくる」ということが起こるものです。

すみずみまでイメージできれば実現できる

 もちろん、このことは仕事に限ったことではありません。

人生において何かをなそうとするときにも、つねに理想形をめざしてやるべきで、そのためのプロセスとして「見えるまで考え抜く」、つまり思いの強さを持続することが必要になってくるのです。

病気になって学ばされた心の大原則

 これまで、人生は心のありようでいかようにも変えられるという、人が生きるための大原則について述べてきましたが、実は私の人生は失敗と挫折の連続で、何度も痛い目にあいながら、その法則を「思い知らされた」というのが実情なのです。

「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」

運命は自分の心次第という真理に気づく
 たしかに運命というものは、私たちの生のうちに厳然として存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗いがたい「宿命」なのではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるものです。運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。

 東洋思想では、それを「立命」という言葉で表現しています。

 思いという絵の具によって、人生のキャンバスにはその人だけの絵が描かれる。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人生の色彩はいかほどにも変わっていくのです。

あきらめずやり通せば成功しかありえない

 新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。可能性とはつまり「未来の能力」のこと。現在の能力で、できる、できないを判断してしまっては、新しいことや困難なことはいつまでたってもやり遂げられません。

 「有意注意」という言葉があります。意をもって意を注ぐこと。つまり、目的をもって真剣に意識や神経を対象に集中させることです。

 たとえば音がして、反射的にそちらをパッと向く。これは無意識の生理的な反応ですから、いわば「無意注意」です。

 有意注意は、あらゆる状況の、どんな些細な事柄に対しても、自分の意識を「意図的に」凝集させることです。

 したがって前項で述べた観察するという行為などは本来、この有意注意の連続でなくてはなりません。ただ漫然と対象を眺めていたり、注意力にムラがあるようでは有意注意にはならない。

自分の人生ドラマをどうプロデュースするか

 「一日一日をど真剣に生きる」―これも単純なことですが、生き方の根幹をなすきわめて大切な原理原則の一つです。

 剣術にたとえるなら道場の稽古といえど竹刀ではなく真剣で臨む。弓ならば満月の形にまでいっぱいに引き絞って、少しのたるみ、わずかなスキもない、張り詰めた緊張感の中で矢を放つ。

 つねに、そうした必死、本気、懸命な心がまえや態度で毎日の生活や仕事をこなしていく。そうしたとき、私たちは自らが描いたとおりの人生を生きることが可能になるのです。