アービンラズロ・・・・5

                            
意識と脳

 意識は、生涯を通してわたしたちに伴っているにもかかわらず、それが何なのかはわたしたちにはわかっていない。

意識は、脳によって生み出されるものなのか?それとも、そうではなくて、意識はただ脳と関連がある。ということにすぎないのだろうか?
常識では、前者の見解が取られている。なぜなら、脳の機能が存在するかぎりにおいて、

意識も存在するように感じられるからだ。

一般に意識は、脳の機能のうちの特殊なものに違いないと、と思われている。

脳を超えた意識

 意識は、脳そのものではなく、ただ脳に関連して存在しているだけである。

しかし、意識はそれが関連している脳という物質に限られた存在なのだろうか?それとも、意識は脳を超えた領域にまで広がっているのだろうか?

 古典的な見解では、人間の意識は脳と神経系に限定されている。意識は、わたしたちが生涯を通して経験する感覚、知覚、意志、感情、直感の総和である。

外界に関する情報は、わたしたちの感覚を通してしか、この複雑で果てしない流れに入ってはこない。
神経インパルスが神経系によって感覚器官から脳まで伝えられ、それが脳で解読され分析され、その結果として意識のなかに一つの知覚が現れる。

意識的経験は、塔の五つの窓を通して世界を見るのと同じことだ。その五つの窓とは、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚である。
だが、これで終わりというわけではなかろう。もっと広大な眺望を得ることはできないものか?塔の屋根を空に向かって破ることはできないのだろうか?

 人間精神が世界のほかの部分と驚異的な一貫性を持っていることはすでに注目したとおりだ。意識に届く情報を抑圧しなければ、わたしたちはかすかな直感、イメージ、感覚に気づく。
それらが教えてくれるのは、物理的・生物的な環境、また、社会的・文化的な環境からおのずと発生した印象を、脳や意識が受取っているということだ。
臨死体験、体外離脱体験、前世の経験で、また、さまざまな神秘的、宗教的な経験でも、わたしたちは眼や耳やその他の身体的感覚によって伝えられたのではないものを知覚することができるようだ。

宇宙における意識


 意識は宇宙のなかで、どのくらいの範囲に広がっているのだろう?実のところ、自然という壮大な構造のなかには、ここからここまでは意識が存在し、その下、あるいは上には、物理的相互作用と化学反応しか存在しないと言えるような明確な境界は存在しないようだ。

ラズロが示す魅力を取り戻した宇宙はじつに驚異的だ。

人間を含めた生物の体も、素粒子や原子・分子も、そして宇宙も、一貫性を持っている。そして、これら宇宙に存在するほとんどすべてのものは、ほとんどすべてのほかのものとのあいだにも一貫性を持っている。
そして、その一貫性をもたらしているのが、量子真空だ。この真空は、従来の科学で考えられていたただの虚空ではなく、すべてのものの源であり、すべてのものが生み出した情報を記録する媒体でもあるという。

 量子真空は、人間の心にも浸透しており、物理的存在のみならず、意識も生み出す根元的な存在だという。
これは、最先端科学の知見が伝統的世界観のものと一致したということであり、これこそ彼が「宇宙は魅力を取り戻した」と宣言する根拠であろう。

これが真実なら、人間は宇宙の根底をなすフィールドに不可分に結びついた、宇宙の一部となる。
そのような存在なら、確かに人間は、本来の住処である宇宙のなかでくつろいで過ごすという在り方を取り戻すことができるはずだ。