神通自在無礙を得る祈り

 神は霊でありたまう。霊は物質ではないから、神は自由自在でありたまうのである。その神の子であるところの私もまた霊であり、自由自在であるのである。

自由自在であるということは、何物にも縛られたり、限られたり、自分で壁をつくって、自分を動けなくすることは無いということなのである。

 それゆえに私は、すべて自分を遮る壁を突き破って何事でも希望のままに実現することができるのである。もしわが希望がまだ実現しないことがあったら、自分がまだ“神の子”であり、“霊”であり、神通自在であるという自覚が足りないからに過ぎないのである。

 「はじめにコトバあり」とは如何なることであるか。神は“霊”であるから、その“霊”の智慧の動き、生命の動きによる微妙霊妙なる振動こそコトバなのである。

一層端的に謂えば、霊なる神がその心に想念を起こされたのである。

想念がコトバなのである。想念は万物の本質であり、内容であり、資材であり、設計であり、アイディアであり、創造る力であるのである。

それゆえにこそ「声字即実相」なのである。想念が動き出でて声となり文字となって表現されるとき、一切万物は、その想念の通りの形を帯びて出現し始めるのである。