「生命]とは如何なるものか

 この「脈拍」が「生命」なのかといっても、「脈拍」そのものは「生命」じゃないのであります。

それは、心臓と云う器官が鼓動し、それにつづく血管が脈動してどきどきやっているのであって、別に「生命」そのものがどきどきしているのではないのであります。

そては「生命」がその内部に働いている現われであって、「生命」そのものは手に触れることは出来ない。また眼に見ることは出来ない。
そのように、「実在するもの」は、手にも触れず、眼にも見えない。この事はトルストイ(ロシアの大文学者)も、「本当に実在するものは眼に見えない。

眼に見えるものは影に過ぎない」と言っているのであります。

 吾々の体でも、生きていると云う事は、即ちそこに「生命」があると云う事は、体細胞が秩序整然と列び、内蔵があるべき一定の位置にちゃんとあり、あるべき一定の機能を営み、肝臓は肝臓の機能を営み、心臓は心臓の機能を営み、胃袋は胃袋の働きをし、腎臓は腎臓の働きをして、底に一定の秩序を保っていると云う事であります。

ところが其の秩序が紊れて、或る細胞ばかり無闇に増殖すると、それは癌細胞になります。心臓が一定のリズムをもって鼓動しないと、脈拍が結滞(とどこおる)し、或は心悸亢進(心臓のドウキがたかぶる)し、、健康がそこなわれ、人間が死ぬことになります。

すなわち、「生命」のあらわれたところには必ず秩序があり、秩序のあるところにのみ「生

命」が顕現するのであります。