自信力は推進の原動力である

 すべての資格や能力や条件が同じであったら、その人が成功し、叉は幸福を得る程度は、その人の自信力の多少によって定まるのである。

優秀なる才能を有ちながら自信力が欠乏しているために、常に後退していて、その優秀なる能力を発揮し得ないで、いたずらに為すことなく人生を過ごしてしまう人も多いのである。

心の深層にある劣等感

「徳」は一切の富の源泉である

 吾々の「徳」がそこに整うたとき、その「徳」に値する一切のものが既に其処に成就せられているのである。
だから、外形の「富」を求めるよりも、「富」にふさわしい「徳」を積むことこそ先ず第一である。

「徳」が整えばその余のものは一切おのずから加えられるのである。この事をキリストは、「先ず神の国と神の義きを求めよ、その余のものは汝らに加えらるべし」と教えたのである。

大生命と円融(完全にひとつにとけこむ)すれば自在無礙

 人は生涯のうちの或る機会に何かの出来事を契機として、自分の生命の実相が宇宙にひろがる大生命と一体であると云うことを悟ることがあるものである。

香厳和尚は自分が掃いている箒の先に引っかかった小石が竹に撃ちつけられて、カッと音をたてたその瞬間に「音」と「自分」と「宇宙」とが渾然一体の宇宙の大生命であることを自覚したのである。

「音」は「彼」であり、「自分」は「我」であり、「我」が彼を認めることが出来るのは、「宇宙大生命」と云う「全」を媒介として知ることが出来るのである。

「彼」と「我」と「全」とが渾然と一体であると云う自覚を得たとき、我は彼に調和し、彼は我に調和し、全体と自分とが完全に円融一体となり何らの摩擦もなくなるのである。

自己内在の無限力を発揮するには

 宇宙大生命と一体なる自分こそ「本当の自分」であるから、「本当の自分」の力が発揮せられたならば、吾々は宇宙を動かす力を得ることが出来るのである。

そんなことを言っても宇宙の運行に逆って太陽や地球を逆回転せしめ得ると云うのではない。

太陽や地球の運行に添いながら、恰度、大波に乗って、自然に目的地に労少くして達することが出来るように、宇宙全体の動きが、自分の動きと全く一体になり、宇宙全体が自分に協力してくれるようになると、何事も順潮(調和して流れにそう)に行くようになるのである。

利己的な考えをもっている限りに於いては、宇宙全体の動きと孤立しているようになるから、自己を通して宇宙全体の力が発現し得ないことになるのである。

「一つなる生命の流れ」に融け込む生活

 「宇宙は一つ」「生命は一つ」であるから、その「一つなる生命の流れ」に融け込んでいる限りは、吾々は全体と調和した相で健康に豊かなる生活を送ることが出来るのである。

既に幸福なる自己の「実相」を自覚せよ

 今既に幸福であり健康である自分の「実相」と、心の波の演ずる所作事(仮相叉は夢)に過ぎないところの「病気」とを切り離して、自分の健康な実相を観ることが必要である。

しかし、夢の中には夢の法則がある。その夢の中の法則に従って、仮相なる病気が、仮りに治った相を現すこともあり得るのである。

即ち、現象世界の法則で、薬剤や注射によって、その現象の肉体が健康になる如きはそれである。それに対して何ら反対する理由はないのである。

併し、それは「病気」の夢から「健康」の夢に移るに過ぎない。真の健康は、健康を夢みることではなくて、最初から健康なる「神の子・人間」の実相を自覚して、その自覚の表現として健康なる自己が顕れる事である。

あなたの祈りは何故実現せぬか

 「祈り」を「神様に泣きつくこと」だと考えてはならない。泣きつくような悲しい思いで神に祈る人の祈りがきかれないで、「神も仏もあるものか」と云う歎きにかわることが多いのは、自分の「悲惨」を心に思い浮べながら祈るからである。

自分の「悲惨」を心に浮べながら「祈る」即ち「精神統一」していると、益々宇宙の法則に「悲惨」を創造するように「心の雛型(卵のカラからヒナがうまれるように、そのカタから何でも出て来るモトの型。もけい)」を提供していると同じことになるのである。吾々は想念で「雛型」を造る。

すると「法則」がその通りのものを造り出してくれるのである。

実相を観ずる治療

 「実相を観ずる」ことによって全ての不幸(病気を含む)を癒すのは、自分叉は相手の実相の完全さをただ観ずるのであって、相手に思念を送るのではないのである。
思念を送る療法は「思念療法」と称せられるものであって、相手の病気をみとめて、それに「健全なる想念」叉は「健康の念」を送るのである。

だから病気の念と、健康の念との二元的争闘(もともと二つの対立から来るあらそい)がある。
しかし実相を観ずる場合は、実相のみ実在として、仮相の病気を無視して、本来の完全さのみを観ずるのであるから、一元的である。

だから思念を凝らすと云うようなこともない。ただ相手の完全さを観るのであるから、話しているうちに治ってしまうこともある。


政権交代

接戦から大差に「鳩山圧勝自民大敗」の衝撃


 残念ながら、彼にも“資格”はなかったのだ。

思えば、安倍・福田・麻生と、選挙もなしに3人も首相を替えたのは、あまりに国民を舐めていた。

自民党よ、そろそろ“退場”すべき時ではないか。


ベテラン+チルドレン=離党