人生の真の目的

スワミ・クリヤナンダ氏
「肉体意識にどっぷり浸かっている人は、いわば知らない国に迷い込んだ異邦人のようなものです。

私たちの母国は、「大いなる遍在」すなわち神の国です。この地上で、私たちは旅人にすぎません。ほんのしばらく留まるだけの客人なのです。

 しかし残念ながら、ほとんどの人は客人であることに不満です。地上の小さな一部分を自分のものとして占有したがります。私の家、私の妻、私の夫、私の子供、それがいつも考えていることです。

魅惑的な物質世界の罠におちて、催眠状態で錯覚の夢を見せられているのです。自分が本当は何なのか、本当は何者なのかを思い出せないのです。

「苦悩と悲嘆の海から、抜け出しなさい!」クリシュナはそう言いました。神とともにあれば、人生は幸福の祝祭です。しかし神とともにいかねれば、人生は困難と苦労、そして絶望の巣窟です」

「人生とは、結婚して食べてそして死んでしまう、そういう目的のためのものではありません。食べて飲んで死ぬこと、それは動物の道です。

何ゆえに人生の本来の高さより低い生を生きるのですか。神は、正しく使うなら存在の神秘を明かすであろう知性を、人間に与えました。

神は人間に知性を与え、神自身をも探求しうるほどに、ひとの叡智を深化させたのです。この神聖なる能力を賢明に使わなければなりません。そうしないことは、あなた自身に対する、最大の不正義になりうるのです」

「人生の真の目的は神を知ることです。しかし一方で、人間には世俗的快楽への誘惑というものが与えられています。あなたの識別選択の能力を強化するためです。五感の快楽を求めるのか、それとも神を求めるのかという選択です。快楽は、はじめは魅惑的ですが、もしそれを選ぶなら、遅かれ早かれ、終わることのない苦悩と困難にとらわれることになるでしょう。
 五感の快楽の魅惑に屈した人はすべて、健康や心の平和そして喜びの喪失という結末を受け容れなければなりません。一方、ひとたび神を知るなら、無限の喜びはあなたのものです。
 いずれにせよ、すべての人は、最終的にこの大いなる教訓を学ばなければならないのです」

「この地上で過ごす何年かは、生まれるまでの永劫の時や、この世を去った後にまたやってくる無限の時間にくらべれば、それは数秒にすぎません。なぜこの人生を、物質の奏でる一瞬の間奏曲と同一視するのですか。
あなたはあなたの肉体でも、あなたの家族でも、あなたの国でもありません。あなたは訪問者です。あなたの故郷は無限の宇宙です。あなたの真の寿命は永遠なのです」


「人間の目的は神の発見です。それが私たちの唯一の存在理由です。仕事、友人、物質的関心―そうしたもの自体には何の意味もありません。
そうしたものは決して本当の喜びをもたらすことはないのです。それらは、それ自身では、どれ一つとして完全なものはないという簡単な理由のゆえです。すべてを包摂するのは神のみです。
 それゆえにイエスは「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろうと言われたのです。

つまり、まず、あらゆる恵の与え主を求めなさい。そうすればその他もろもろの恵は巧まずして神から受けとるであろう、と言われたのです」