病人にあり勝な性格

 心が暗い方に傾いている人は、何事も悪い方にものを考える。天気が曇っておれば「今日は曇りの加減で頭が重い」と言う。

晴れておれば晴れているで暑すぎるとか、あまりに光線が強すぎると言う。雨が降れば鬱陶しくてやり切れないと言う。食物に塩がきいておればからすぎると言い、塩が足りないと、水っぽくて不味いと言う
何でも不平に感じ、何でも小言の材料になって感謝すると云うことを知らないのである。

人の欠点を見つけ、天気の欠点を見つけ、食物の欠点を見つけ、凡ゆる処に不平や、悒鬱や、生き甲斐のなさを醸し出す(お酒がハッコウして出来るように内にこもった力で作り出すこと)のが、病人にあり勝な性格である。

病気になっているから、心がねじけてそんなになっているのかと思うと、必ずしもそうではない。事や物や人間や天気に至るまでの欠点を、心が見つけて不平に思う習慣があるから病気に罹っているのである。

不平な境遇を歎く前に

 多くの人たちは自分の不幸な境遇を歎いて、ただ此の境遇から抜け出せれば心も幸福になれるのに、と思っているが、これは全く逆である。

先ず心が幸福になったとき、あらゆる環境(まわりの有様)から“幸福になるもの”を引出して来ることができるのである。

環境の影響と云うものも全然無いのではない。何故なら環境と云うものは「心の集団」であるからである。しかしそのような「心の集団」の中で生活するようになったのは、自分の内に、それと波長の合うような“心の波”をもっていたからである。

自分の“心の波”を変化するに従って、環境に集まってくる“心の波”群(あつまり)も変化して来て、自分にとって楽しい環境群となって来るのである。

環境や境遇に対して、不平や苦情を言って心を鬱陶しくしている限りに於いては、いつまでも楽しい環境はひらけて来ないのである。

快活に悦びを表現しましょう

 太陽の射す明るい沃地(よく肥えた土地)には大木が生長します。光の少ない湿地には小さな苔のような植物が辛うじて生えるに過ぎません。

私たちは「太陽の射す明るい沃地」となることを心掛けねばなりません。明るい沃地には人が集まって来て、其処には都市が出来、工場が出来、色々のよきものが生産されます。あなたの心から豊かに歓びの波長を放送しなさい。

歓びを放送すれば歓びが返って来るのです。歓びはどれほど表現しても表現しすぎると云うことはありません。

歓びのき表現は、家庭でも事務所でも工場でも、周囲に歓びの波動を波及し、其の処を光明化し、其処に天国浄土を築き上げる結果となるのであります。

ゆたかに遠慮せずに快活に歓びを表現しなさい。何かを人にして貰っても「あら嬉しい!有り難うございます」とハキハキ悦びの感情を表現するように致しましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・尊師