危機に立つ日本藤原正彦氏 90%

 
日露戦争や日米戦争の前ならこんな会話も日本の随所で聞かれたはずですが、今の日本は一応の平和と繁栄の中にいるのです。それなのにどうして大多数の日本人が、日本は前面的ジリ貧の真只中にいると感じているのでしょうか。

 すばらしい学習をした中国はこれからも東シナ海でやりたい放題の乱暴狼藉を働き、こちらが逮捕等の行動に出るや謝罪と賠償を世界中に聞こえるようにがなり立て、それでもダメならありとあらゆる報復措置をとることでしょう。台湾の李登輝さんが言うように、中国とは「美人を見たら自分の妻だと主張する国」なのです。私だって抑えているこのような言葉を平気で言う国なのです。

アメリカの内政干渉を拒めない 

とりわけアメリカに対してはまやかしの安全保障と引き換えに屈従を誓っているかのようです。

いつ暴落するか分からない米国債を買わされ続け、すでに世界一、二を争う所有額となりながら売ることさえままならない。なぜかこれについては政府もマスコミも触れようともしない。

年次改革要望書」などという露骨な内部干渉まで拒めない。郵貯簡保の三百四十兆円をアメリカへ差し出し、アメリカの保険会社の日本進出を援護するために行われたような郵政民営化、世界で最も安定していた日本の雇用を壊した労働派遣法改正、WHOに世界一と認められていた医療システムを崩壊させた医療改革、外資の日本企業買収を容易にするための三角合併解禁など、みな「年次改革要望書」で要求されたものでした。

 明治六年に来日したそのまま三十八年間も日本に暮らし屈指の日本研究者となったイギリス人バジル・チェンバレンはこう記しています。

「この国のあらゆる社会階級は社会的に比較的平等である。金持は高ぶらず、貧乏人は卑下しない。…ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」

   若者は「恥ずかしい国」となぜ言うのか

 二年前に、私はお茶の水女子大学を退職しました。セクハラ退職ではありません。堂々たる定年退職です。定年前の十数年間、私は専門の数学以外に、一年生対象の読書ゼミを週に一コマか二コマ担当しておりました。私はそのゼミでよく新入生にこう尋ねてみました。

「日本はどういう国と思いますか」二十歳くらいの彼女達の答えには、表現の差こそあれ、「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などと否定的なものが多かったのです。

「明治、大正、昭和戦前は、帝国主義軍国主義植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと…」

 証拠は捏造されていた!?「大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実。

     マッカーサーも認めた自衛戦争 

日米戦争に関しては、東京裁判を開廷し日本を侵略国家と断罪した当の本人マッカーサーが、一九五一年の米国上院軍事外交合同委員会で次のように答弁しています。

「日本は絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。

そしてそれらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

 すなわち、日本にとって自衛の戦争であった、と証言したのです。

   百年戦争の末の、日本の大敗北と大列勲 

百年戦争は日本の大敗北となりました。しかしこれは無益無駄な戦争だったのでしょうか。

 大局的見地から見ると、実は百年戦争は日本の大列勲だったのです。ペリー来航以来、日本が希求してきたものは、第一に独立自尊でした。

そして第二には、そのためのアジア主義、すなわち日中朝が連帯して白人によるアジア支配を食い止めることでした。
第一のものについて日本は、百年戦争の最後の六年半ほどアメリカによる統治を受けただけで、曲がりなりにも有史以来の独立自尊を保つことができました。大成功だったのです。

 第二のものについても、日本はほぼ独力で達成してしまいました。達したどころではありません。アジアを食い物にしていた白人勢力に日本が敢然と立ち向かう姿を見て、アジアの人々はもはや白人への畏怖や恐怖を持たなくなりました。

そして日本軍、日本兵に独立国がアジアでは日本、タイ、ネパールの三国、アフリカではエチオピアリベリア、南ア連邦の三国しかなかったのが、その十一年後、百年戦争の終る時点では合わせて百カ国を超えたのです。

 当のアジアの指導者達も当然ながら日本への感謝を表わしています。実は戦争中から日本は概して好意的に迎えられていたのです。

 日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげたのです。

  日本人の誰もそんなことを夢想だにしていませんでしたが、結果的には世界史の大きな転機をもたらしたという点で、何百年に一度の世界的快挙をやってのけたと言えるでしょう。

 この百年戦争で斃れた多くの彼我の犠牲者の魂も、この一点において慰められるものと思えるのです。

「個の尊重」より国柄を 

 実はこの靭帯こそが、幕末から明治維新にかけて我が国を訪れ日本人を観察した欧米人が、「貧しいけど幸せそう」と一様に驚いた、稀有の現象の正体だったのです。

 日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが、精神の安定をもたらすものであり幸福の源だったのです。

 これを失った人々が今、不況の中でネットカフェ難民やホームレスとなったり、精神の不安定に追いこまれ自殺に走ったり、「誰でもいいから人を殺したかった」などという犯罪に走ったりしています。