アメリカのイラク攻撃(2003年3月)の真相!

増田 俊男氏

2001年の9/11(セプテンバー・イレブン)前のEU(欧州連合)発足時からアメリカが2003年3月イラクを攻撃するまではEU(欧州連合)はアメリカに対して優位に立ちフランスはイラクの広大な油田の利権を手中に収めサダム・フセイン大統領にイラク原油取引通貨をドルからユーロに切り替えさせた(2000年11月)。

毎日約300万バーレル分の原油取引がユーロの需要増大化に繋がり、発足当時(2000年前後)1ユーロ=0.90ドル台であったユーロは2001年から急速に上がり始め遂に1.70ドル台までに達した。

nさらに前フランス大統領サルコジシラク元大統領以来の対米大野心を抱いていた。それはユーロと中国人民元のペッグ制を敷くことでドルの基軸通貨制をアメリカから奪うことだった。

正に中国と組んだアメリカの生命線への挑戦であった。そこでアメリカは戦後(1946年)のガリオア基金=占領地域救済政府援助基金=占領地域の飢え、病気、社会不安を除く為の食糧、医薬品、石油、肥料等生活必需品緊急援助)とエロア基金=占領地域経済復興の為の資金、原材料、生産機械等の緊急援助)で敗戦国(アメリカの属国)日本と同様今日の繁栄を築いた属国ドイツと組んでフランスの野心を葬り去り、さらにドイツと共に欧州を統一する決意を固めたのである。

アメリカが目的を達成する時は、丁度日本を真珠湾攻撃に誘導したように必ず相手に挑戦させてから叩くのが「決まり」である。
フランス(サルコジ前大統領)は日本の大東亜戦争突入同様派手な対米挑戦に誘導され敗れたのである。

その結果、一時は「21世紀のあるべき政治体制の成功モデル」とまで言われたユーロ体制は崩壊に向かうのである。それは戦前日本が大東亜共栄圏の盟主になるなどという話と同じこと!

2003年ブッシュ米大統領大量破壊兵器などという根も葉もない理由と数々の作り話(イラク兵が病院で赤子を殺害したという証言や炭疽菌を輸送するトラックの映像)でイラク攻撃を開始、イラクを事実上支配するとイラク原油決済通貨はユーロからドルになりユーロは対ドルで下落し始めた。

ユーロ圏の金融資産価値激減で2008年頃からユーロ加盟国のギリシャアイルランドポーランド等が相次ぎ財政危機に見舞われ、さらに信用不安はスペイン、イタリアに波及、ユーロ加盟国は経済主権を捨てて(アメリカがバックの)ドイツの支配下に統一されようとしている。