日本人に生まれて良かった?

櫻井 よしこ氏
フーチ 85%
 十七条憲法も御誓文も、ひとつひとつの条文を読むと、「和」を尊重し、民主主義を尊ひ、上に立つ者の倫理を重んじた価値体系のなかにあることが明らかです。

「すべての人に意見を聞きなさい(第一条)」「知識を集約し、みなで問題を議論しなさい(第二条)」「広く外国に門戸を開きながらも、わが国の文化・伝統を盛り立て大切にしなさい(第五条)」―。

 これは五箇条の御誓文のごく一部(現代語訳)ですが、民主主義的でもあり、国際的でもあり、なおかつ日本の価値観を大切にする考えですね。

 戦後の日本人で、「民主主義」は戦後、アメリカからもたらされた、と考える人は少なくありません。しかし、歴史を振り返れば実態はまったく違います。身分や貧富を越えて人間はひとりひとり大切な存在なのだという民主的な価値観は、十七条憲法にすでに明記されていました。その価値観は日本の歴史を通じでずっと受け継がれてきました。
    他国の王室とはまったく違う存在感
 皇室の歴史は約二七○○年もの長きにわたり、万世一系、はるかな昔の神話に連なっています。皇室に次ぐ歴史を持つデンマーク王室でさえ、約一○○○年、そのほかの王室の歴史はせいぜい数百年です。

      縄文時代は日本人の心の源流

 日本神話に投影された日本人の価値観はいったいどこで、どのように、いつ生まれてきたのでしょう。その源流は縄文時代にあるのではないでしょうか。
 はるか昔の縄文時代から弥生時代を経て、「古事記」「日本書紀」の時代へ、そして現在に至るまで一万数千年も前にはじまり、二千数百年前までつづきました。縄文の人々は長い長い時間、日本列島の豊かな自然のなかで、世界でも類のない文化・文明を育んだことが判明しています。

 縄文時代については、人々の生活は原始的な狩猟採集生活で、彼らは獲物を求めて移動をつづけ、食べることにも事欠くような状態で、文化・文明とはほど遠い野蛮な時代だった、という見方がかつてありました。

       世界に誇りたい縄文文化

 縄文時代は日本列島独自の文明が花開いた時代でした。それを特徴づける最大のものが縄で模様をつくった「縄文土器」と「土偶」です。縄文時代を通じて一万年以上にもわたってつくりつづけられた土器や土偶は、その数といいユニークさといい、世界史のなかでもほかに例がありません。

 日本人がこれほど古い時代から技術や芸術にすぐれ、高い精神性を持っていたことに、改めて驚かされます。学校の歴史では縄文時代についてほとんど教えませんが、なんともったいないことでしょうか。

 戦後、日本の歴史化や教師たちは、どういうわけでしょうか、技術も文化もすべて大陸や朝鮮半島から伝来したものであり、それらを私たちが受動的に学んだと言いつづけていました。いまだにそうした視点で歴史や文化を見る人も少なくありません。

      縄文人から私たちが学ぶこと
 縄文文明を育んだ私たちの祖先がいかに素晴らしい人たちだったかと、心から思います。縄文人の智恵や芸術センスが、現代日本の技術や美しいものを生み出す力につながっていることも感じます。

 そして、もうひとつ、忘れたくないのが、日本列島に住んでいた人たちは、その穏やかな価値観を、暮らしや人との関係の基本としていたことです。このことは、さまざまなことからあきらかで、私には大陸から渡米した弥生人たちが縄文人を滅ぼしたという説は、間違っているとしか思えてなりません。

 そう考える根拠は、まず第一に、その時代、争いによって殺されたと思われる人骨がほとんど出土していないことです。第二は、人口の少なさです。日本列島にいた縄文人は前述のように早期で二万人、ピークの中期で約二六万人、晩期には八万人ほどに減ったと推計されています。