物質的治療は病気を征服しえたか

 病気というものはゴムの袋に水を入れておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他の

ところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押

さえてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸

となるのであります。


 われわれの生命力というものが与えれば与えるほど殖えるという奇現象を呈するのは、われわれの生命力はわれわれの肉体の中にだけはない。肉体の境を超えて流れている広大無辺な生命がわれわれの生命であるからであります。

われわれの肉体は井戸の框みたいなものである。それは実に広大無辺な地下水の流れの一個の出口たるにすぎないのであって、われわれの生命の本地は目に見える肉体の井戸の中にあるのではなく、むしろ眼に見えない無辺無限の地下水こそわれわれの生命なのであります。


無限無尽の生命につながるわれら


 この目に見えない無限むじん生命の地下水―すべての地上の水が、地下水において一つに連なっているように、すべての生命は、目に見えない世界ににおいて一つにつながっているということはなんというすばらしい荘厳なことではありませんか。

このすばらしい荘厳な偉大な生命の流れが、あらゆる目に見える事物の背後にあって、心の法則―すなわち「念のフィルムを通して、一切は形に化して顕われるという法則」にしたがって、いっさいの顕世の事物をこの世界に顕現しつつあるのであります。

光をさえぎる念のフィルムをかけたものには陰多き世界が現われる、いっそう透明なフィル

ムをかけたものにはいっそう光明多き世界があらわれる。この世にはかくのごとくして光明と

暗黒とがあらわれ、健不健があらわれ、幸不幸があらわれる。

しかしあらわれたもののうち、光明と、健康と、幸福とのみが実在であって、暗黒と、病気と、不幸とが実在でないのは、後者は、ただ陰多き念のフィルムにさえぎられて、光がそこに無い、実在がそこに無いというほかはない、暗黒はこの世にない、病気はこの世に無い、不幸はこの世に無い。

この世に生命の水がないといってつぶやいているのは、みんな本当に生命の水がないのではなく、生命の井戸を掘らないからであります。
生命の井戸の水を深く掘れば掘るほど水は無限に湧いてくる。だから、生命が涸渇てしいるという状態―病気という状態、不幸という状態は本来無い。
そこには実在が流れ込んで来ていないということ、すなわち実在がないー非実在だという消極的状態にすぎないのであります。・・・・・谷口先生

  1. *この考え方は量子理論やラズローの相結合するフォロスフィールドと相通ずる。