見えていない物は存在しないと同じ・・・1(明日2)

・・・・・・・・・・・苫米地氏85%+++時空研

   「世界とは自分が認識したもののことである」
「認識したことが実際にある現実世界とは違っていたとしても、その人は認識したことだけを現実の世界であると判断する」

  リアルな現実世界を完全に認識することはできない

「認識したものだけが世界である」という考え方は夢を実現させるときにとても大事なものです。
 これはつまり「認識が変われば世界が変わる」ということを意味するからです。

 多くの人が考えている「リアルな現実世界(物理的現実世界)というものは実際には認識不可能です。そして、認識不可能なものとは、存在しないのと同じことです。

 あるのは一人ひとりの脳のなかにある認識した世界だけです。

 この認識こそが世界だとすると、脳が認識するのは情報なので、世界とは情報であると言うことができます。

 資本主義では、競争の原理を採用しています。必ず勝者と敗者が生まれる以上、常に勝ち続けられる人など皆無といっていいでしょう。つまり、競争社会は「敗者を大量生産するシステム」といえるわけです。

 買っても負けても幸福感を味わえないシステム、それが競争原理です。「自分とは単独で存在するものではなく、他者(他人)との関係によって存在するものである」

        過去は未来が決めている

 では、過去とはいったい何でしょうか。過去とはその人の記憶のなかにある、起こった出来事に対する現在の解釈です。過去とは私たちの記憶の現時点での解釈に過ぎないのです。
    あなたの現在の「選択」こそがベストである

 過去の選択を振り返って、「もしあのときの別の選択をしていたら」と考えることはまったくナンセンスであり、その時点であなたがベストだと思ってした選択であるならば絶対にそれがベストであり、それ以上にいい選択はない、ということです。

    今の自分が最高と思えるように生きているか

 現在は未来における過去ですから、現在の定義、解釈は未来が決めることになります。

 もし、未来において夢を叶え、幸福を手に入れることになると仮定すれば、今現在、どんなに不幸なように思えても、夢を叶えた未来から見るとそれは不幸な体験ではなくなっているはずです。

 つまり、未来において夢を叶える人にとっては、現在がどんな状況であろうとも不幸なことではないのです。夢を叶えた瞬間、現在の出来事はすべて夢を叶えるための伏線であると解釈されるはずだからです。

 もう一歩、突っ込んでみると、こんなふうにも考えられます。

 現在の状況を不幸だと考えているあいだは、決して夢を叶えたり、幸福をつかんだりすることはできません。

 いつまで経っても過去の出来事の解釈を変えることができないからです。逆に言えば、現状を最高だと考えられる人は未来において夢を叶え、幸福を手にしているも同然です。

 つまり今の自分を最高だと思える人だけが、未来において夢を叶えることができるのです。

  未来において夢を叶え、成功をつかみ、幸福を手にしているあなたは、現状に悩む必要もないですし、どんな現状も最高だと感じることが未来の成功を確実なものにしてくれます。

 あなたは現在の状況に悩むのをやめて、未来の幸福を考えて生きていけばいいのです。

「お金が欲しい=飢え死にすることを恐れる」という生命維持のための原始的欲求を追う時代はすでに終わっているということです。

 産業革命の時代が、まさに、その最後の時代だったのかもしれませんが、現在は違います。にもかかわらず、「自分だけはお金持ちになりたい」というのは、その人の親による洗脳があまりにも強烈だったからというほかありません。

 「お金持ちになる=幸せになる」と考えてしまう人は、実際に戦中や終戦直後の日本であった「食べるのに困った経験」を実際にした親たちが自分の子どもだけはそうならないようにと強烈に洗脳してしまい、その影響から抜け出すことができなくなって、自分自身の本当の夢をもてなくなってしまった可能性があります。

 現在の日本では必要のない心配です。お金持ちにならなくても、飢えることはありません。
 人類の数百万年の歴史で、人類が飢えを克服してから、まだ数十年というスパンですから、我々の遺伝的本能が、飢えを恐れ、その恐れが形を変えた「グルメ文化」が世界を席巻しているのはわかります。

 ただ、人類の脳は、脳幹欲求を抽象度の高い思考でコントロールできるまで進化しています。そして、抽象度の高い思考では、すでに人類は飢えを恐れる時代ではないのです。つまり、お金持ちにならなければならない本質的な必要はないのです。

 何度も繰り返しますが、お金をもつことや競争に勝つことと幸せになることはなんの関係もありません。

 自分で考えて決めた夢だと思っていることでも、たいていは純粋に自分で決めたことではありません。

 多くの場合、他人の価値観に影響された、あるいは知らないうちに強制されたものです。

 この価値観に影響を及ぼす「他人」で最も多いケースは「親」です。子どもはどうしても親の価値観に影響を受けてしまいます。発達心理学の研究でも、大人になってから無意識に下す判断の8割から9割が親も物真似であるというデータがあるほどです。

   夢は自分という殻を抜け出して初めて見えてくる
 では人に影響されていない、自分本来の夢とはどういうものをいうのでしょうか。また、それを見つけるためにはどうすればいいのでしょうか。

「快楽」を求めてさえいけば夢が実現してしまう方法がある

「どれがいちばんいいのかわからない」という人のための「夢発見プログラム」、もう一つは夢をもった後にそこへ向かう動機を継続させるための「ドーパミン分泌プログラム」です。
 イメージのなかの仮想現実こそが私たちが認識している世界である以上、この仮想現実を揺るがすことで現実世界を揺るがすことができるのです。

   無意識のうちに勝手に夢に突き進むようになる 

 人間は、実際にはまだ手に入れていないものでも、手に入れることができると考えただけで脳内でドーパミンが分泌され、報酬系の回路が刺激されます。まだ得られていないのに、報酬を得られたときの快感を感じることができるのです。

 これをプライミングといいます

    奴隷の人生を歩むか、本来の自分を生きるか

 残念なことに地球上では多くの人が競争に明け暮れ、戦争をし、差別をし、自分の欲のためだけに行動しています。
 しかも、自分のことだけ考えている多くの人が、じつは他人に洗脳され、操られています。
自己実現」とか「成功」とか、当たりのいい言葉に酔いしれて、喜んで奴隷に成り下がり、安全なところでぬくぬくと命令だけしている連中のために嬉々として戦場の最前線に身を置いているのです。

 それは我欲=煩悩が強過ぎるからです。

 我欲に自分自身が縛られていて、そこから抜け出せず、本来は自分がコントロールしなければいけないはずの我欲に、すっかりコントロールされてしまっているからです。

 逆に言うと、我欲をコントロールできれば、もっとレベルの高い夢をもつことができ、それを実現することができるわけです。

 ・外側視索前野のEgぬき前部帯状回皮質の浄化

 欲をコントロールする手法が止観です。

 「止観の」「止」は煩悩を止めることでしたが、では「観」とは何を観るのでしょうか。それは自分や夢、抱えている悩みや問題などを「抽象度を高めて観る」ことです。だからこそ、「止観」と「抽象度を高める」ことは同時に行う必要があります。

 煩悩のコントロール法として昔からさまざまな方法が試みられてきました。

 「禅」もその一つです。ただし、禅の場合は「止観」の「止」のほうに力点が置かれていて、「観」はあまり重要視していないと感じられます。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハウツウは明日。