パラマハンサ・ヨガナンダ

「神への信頼とは、内なる神の存在への直感的な気づきを拡大することです。何かを理解する際、第一手段としては理性に頼らないということです」

「私の知っている二人の女性は、いつも車を駐車するとき鍵をかけないでおく癖がありました。私は一度二人に言いました。『用心のため、鍵をかけたほうがよいですよ』と。

『どうしたことでしょう。先生の神様への信頼はどこにいったのでしょう?』と二人は声をあげました。

『神を信頼しています。しかし、あなたがたのしていることは信頼ではありません。それは不注意というものです。
自分自身を守るために何もしようとしないのに、どうして神があなた方を守るでしょうか』と答えました。

「人生における神への信頼や恩寵の深さは、真我覚醒の程度によって決まります。

恩寵によって達成しうるものは、人生で神のパワーから何を受け取っているのかによって加減されることになります。死者を蘇らせたりする強烈の信仰の奇跡は、神のみを唯一の真実として実現している者にのみ可能なのです。

そのような奇跡をめざし頭で考えた願いを、たとえ強力に念じてみても、それでは十分ではないのです。

「あなたの教えは、自分が自分に満足していられるようにするということですか?」と話しを聴きに訪れた精神科医が質問しました。

「そうです」と師は答えました。

「しかし、それはもっとも初歩的部分です。究極的には、創造主を前に満ち足りていること、つまり、無限意識のなかで完全なる平和が得られるよう手伝うことを目的としています」

「サマーディとは何ですか?」と、ある訪問者が質問しました。「本でそれを読んだのですが、どうも私には、それにはっきりとした意味があるとは思えないのです」

「サマーディとは、あなたが、あなたの身体以上のものであることを知ることです。“知る”とは知的に知るという意味ではありません。
知的に“知る”ということは、想像力を使ったもののです。私の言う“知る”とは、現実にあらゆる空間や場所に自分自身を意識できるような状態を言います。

先日ある人に言ったのですが『口のなかが酸っぱくはないですか?』

『どうして分かったのですか?』と聞き返されました。その人は相当驚いていました。

『分かるのです。私は自分の身体と同じ程度にあなたの身体のなかにもいるからです』と私は答えました。

 サマーディに入ると、遠くで起きることを知ることができます。そのひとにとっては、それは遠くのことではありません。意識が偏在なるものを包含しているからです。人間の身体は、無限大の現実の一部に過ぎない微少なものとして感じられます。

 サマーディには、二つの段階があります。最初の段階は、瞑想中に意識が無限なるものと融合する状態です。

しかし、いったん瞑想から醒めてしまえば、ヨギにとってはその状態を思いだすことはできません。これはサビカルパ・サマーディとして知られている状態です。

 次の段階はニルビカルパ・サマーディとして知られている状態です。この意識状態では、この世界で働いたり、話したり、動き回っていても、神なる覚醒を維持することができます。ニルビカルパは最高次の覚醒状態です。これを達成するなら、もう幻想のなかにふたたび堕ちる可能性はありません。