地上天国実現

 人々のごとく自己が“神の子”たることを悟り、互いに兄弟姉妹になることを悟るが故に、互いに愛し、和し、扶け合い、睦び合いて争う者ひとりとして無いのである。

万物の霊長たる人間の“心の波”ことごとく相和してすべての生きとし生ける者の心を支配するが故に、すべての生物互いに亦相食むものなく争う者なく、戦う者なく、傷け合うものなく、ことごとく大調和して睦び合う。今より後、肉食獣なく、害虫なく、ライオンも虎も豹も狼も悉く穀物と野草を食とし、性質温順となりて人々に狎れ親しみ愛らしきこと限りなし。

害虫は益虫に変じて田畑を荒らすことなく、雑草を食みて生きるが故に、農薬の必要もなく、農薬の公害もないのである。

 人々ことごとく、“知識の樹の果”を食せず、神の叡智に従って新しき霊的科学が打ち樹てられ、“生命の樹の果”を食して、生命の実相を悟るが故に、エデンの楽園より追放されたる人々ことごとく楽園に帰還するのである。
既に時は熟しぬ。今は人類悉くその実相を悟りて、天国が今将に地上に実現せんとする曙であるのである。

 心の眼をひらいて此の世界を見よ、そこには限りなき形の変化がある。そこには限りなき色彩の変化がある。そこには限りなき音響、音韻の変化がある。そこには限りなき匂いの変化がある。

そこには限りなきアイディアの変化がある。そこには限りなき個性の変化がある。それらが、みんな私達にむかって、「われを見よ。此処に全然新しきものがある。新しき個性がある。新しきアイデアがある。新しき表現がある。われを見よ」と呼びかけているのである。

 私は今、心の眼をひらきて、この新しき世界を見る。それはまことに新しき宇宙であり、新しきアイディアであり、新しき個性であり、新しき創造であり、新しき発展である。
見るもの聴くもの、触れるもの、ことごとく新鮮に、溌剌として生気に満ちあふれているのである。

 新鮮に生気に満ちあふれているのは私たちの周囲にある存在だけではなく、私自身が常に新しく生気に満ちあふれているのである。何よりも先ず、自分自身が常に新しく生気に満ちあふれていることを自覚せよ。われわれは皆、“神の子”であって、神の無尽蔵を表現するための噴出口なのである。
それ故にわれわれは常に憂鬱も悩みもなく、恐怖もなく不安もなく、無尽蔵の美しさをわが生活に実現しつつあるのである。

 愛は今まで埋没していた内在の神性が具有するすべての美と徳とを顕在の世界にまで招き出だす力であるから。

 今より後、歎く者無く、悲しむ者なく、憂える者なく、祝福の霊波は慈雨の如く天界より降り濺ぎて、すべての生物神を讃え、すべての人々の病いは癒され、暗黒は消え、すべてのものに霊光かがやき、十方世界光明遍照の実相世界を現実に今見るのである。

 生理作用が紊れたるものを病気というのである。生理作用に、神の叡智による秩序化が完全に行なわれず、そこに秩序がやぶれて不調和な姿があらわれているものが病いなのである。

秩序を整え直し、不調和を修整してそこに調和をあらしめたとき、病いは癒え、健康があらわれるのである。

 他を生かすことになったとき、生命は自然に歓喜を味わう。真のよろこびは利己主義や個人主義では得られないのである。何故なら個々の生命は一つの大生命より生まれて来、個々の生命は互いに兄弟姉妹であるからである。

 わが内奥に秘密蔵せられたる神の“調和の光”よ、平和の光よ、幸福の光よ、法悦歓喜の光よ、汝らわが実相の属性なるところのすべての光よ。

すべて此の世を照らして調和と平和と幸福と、歓喜法悦を人類に持ち来たす光よ、目覚めて顕われよ。

わが実相に内在するすべての斯くの如きの光、悉く顕われて、今世を照らし人類を歓喜光をもって満たすのである。

・・・・・・・・・・・・・・尊師