努力しない生き方

桜井章一
 努力をしてもそれが正当に報われない時代。苦境を打開しようとあがき、もがくほどに状況は悪化の一途をたどる、そんな経験をした人は少なくないだろう。

 「頑張っているのに」「力をいれているのに」うまくいかないのはなぜなのか?麻雀の裏プロの世界で二○年間無敗の伝説を持ち、雀鬼と呼ばれた著書によれば、そんな蟻地獄から脱出するためのヒントは「努めて力まない」やわらかな生き方にある。執着から離れ虚心に生きることで、逆にツキが巡ってくることがある、そんな雀鬼の気付きの世界。これは「努力」というトラウマからの“解放”の書である。

      努力しない―力が入ったら疑え

 あなたはこれまで生きてきて「頑張ろう」と思ったことは何回くらいあるだろうか?それこそ何百回、何千回、何万回…数えきれないほどあるのではないか。

 たとえば「努力」というものも、「頑張る」が形になったものである。たいがいの人はそれこそ小さな頃から親や教師から「頑張りなさい」「努力しなさい」といわれ続け、「努力」しなければちゃんとした大人になれないと思い込まされている。

 努力して頑張ればかならず結果が出る。努力は尊いもの。そう刷り込まれているから、何かやろうというときには、いつも「頑張って努力する」ことになるのだ。

 得ない―「得る」ことは「失う」ことである

 われわれ現代人は絶えず何かを得ることに目標にして生きている。お金やモノや地位や名誉や新しい人間関係やら、自分にとってプラスになるものをいつも追いかけている。

 言ってみれば、「足し算」の人生である。足せば足すほどその人生は意義があり、満足のいくものだと思い込んでいる。
 もっとも。こうした人生観は何も今の人に特有のことではない。農耕文化が起こってから人間は食料を蓄え、それが財となり権力となっていったわけだが、そのころから「足し算」的な生き方は評価されるものになっていったのだ。

 それは自分たちが生きていく上で必要な分だけ獲物をとる採集狩猟文化の時代には存在しえなかった考え方であり、価値観と言っていい。

頑張らない―頑張ると柔らかさを失う・・・・・・・・・・顔晴る!!

 ウツ病で落ち込んでいる人に「頑張って!」と言うのは禁句という。落ち込みから立ち直りかけてきたころあいをみて、肩を軽く押すようなことを言うのはいいだろうが、深く落ち込んでドツボの状態のときにはまったく逆効果になってしまう。
 苦しまない―期待しなければ苦しくならない

 苦しい感情というのは、どんなところからくるのだろうか。たいていの場合は苦しさの原因となる一つのはっきりとした方程式がある。

 満たさない―「何もない状態」は豊かである
 人はいつも何かが足りないという思いを抱きながら生きている。こんな不景気な時代であれば、お金が足りないという人も大勢いるだろう。愛が足りないという人も無数にいそうである。

 ある世代から上になるとほとんどが健康が足りないと思っているだろう。勝ち組、負け組みという言葉を聞いて自分は負け組みに入りそうだからたくさんのものが足りていないと思う人もいるだろう。

急がない―ゆったりすると物事を鋭くつかめる

 最近、町を歩いていると人の歩き方が速くなったことを感じる。明らかに昔に比べて人の歩き方が速くなっている。昔というのは何も戦後間もない私の少年時代の話ではない。たかだか一○年、一五年ほど前と比べても人の歩く速度は速くなったと思う。

 私は外を歩くときはゆったりと歩く。周りの人の半分くらいのスピードだ。だから人はどんどん私を横から追い越していく。

意味を求めないー意味のないところに可能性がある
 ある企業の経営者から、若い世代のサラリーマン行動パターンが以前と比べて変わってきたという話を最近聞いた。