生命の正体は何か?

川田薫氏 90%
   「有機物」と「無機物」はどこが違うか?
 分子生物学で定義する生命体の条件は、「入れ物をもっている」「自身で維持できる」「自身で増殖できる」「進化していく」の四つだった。

 こうした条件にあてはまるものを生命体といっているわけだが、この生命体といっているわけだが、この生命体は有機物からできると考えられている。そして、その有機物は、無機物が複雑に化合してできたものである。

 そういう意味では、有機物は“かぎりなく生命に近い物質”で、無機物は“生命からもっとも遠い物質”というイメージがある。では、有機物と無機物の違いを、感覚的にではなく、明確に区別する条件はあるのだろうか。

 ほとんどの人は、「無機物とは何か」と尋ねられたら、何の疑問ももたずに物質、つまり、生命活動をしないものと答えるだろう。それでは、有機物と無機物の違いについては、どのくらいの人が答えられるだろうか。

 じつは、有機物と無機物の違いは、元素組成と結合様式が違うだけなのである。有機物は炭素(C)を中心に、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)の化合物であり、無機物、たとえば地球の鉱物は水素、ケイ素(Si)、酸素などを骨格している。
 無機物の場合、結合様式はかなり限定されるが、有機物は炭素を中心にしてあらゆる結合様式が可能である。この結合様式の多様性が、生命体を誕生させる大きな要因となったことは間違いない。 

☆物・機械 
    どんな生物にも共通する部分とは

 この地球上には、バクテリアのような微小なものや、スギの木のように数十メートルの高さに達するもの、あるいはネズミのように小さくても複雑に進化した哺乳類など、じつにさまざまな生物が生きている。
 そうした多種多様な生物であっても、共通項を探っていくと「細胞」という基本単位にたどりつく。動物であろうと植物であろうと、どんな生物も必ず細胞からできているということが共通しているのだ。
 細胞といっても、細胞の中に核をもたない「原核細胞生物(原核生物)」と、染色体を囲む核膜をもつ「真核細胞生物(真核生物)」に分類される。

 原核細胞の仲間には、大腸菌などのバクテリアやらん藻があり、その特徴は一細胞が一個体である単細胞生物である。もうひとつの大きな特徴は、嫌気性、つまり、酸素があると生きていけない生物が、原核生物の中にいることだ。

 原始の地球に生命体が誕生したとき、大気の中に酸素はほとんど存在しておらず、そのため、最初の生物は酸素のないところで生きるのに適した嫌気性生物だったとされている。その根拠のひとつには、現在も嫌気性生物が、原核生物の中に存在しているということがある。

たとえば、最近、古細菌と呼ばれる単細胞生物が発見されている。この古細菌は、一般に生物が生きられるはずがないと考えられているようなところに住んでいるのだ。    
          
      ☆古細菌はソマチッド!?

 それは、硫黄やメタン、硫化水素、水素などが噴き出す火山の火口や、高温の熱水が噴出する深海底の熱水噴出孔の付近である。そんな高温で酸性の場所に、一大生態系をつくっているのである。

そのため、地球の最初の生命体は、深海底の熱水噴出孔あたりで誕生したのではないかともいわれている。
 一方、真核細胞は理科の授業で習う、いわゆる細胞のことで、真核細胞の中には核、ミトコンドリア葉緑体リボソーム、小胞体、ゴルジ体などがふくまれている。

 核の中には染色体(ゲノム)があり、染色体の中にはDNAがおさめられている。ミトコンドリアは細胞のエネルギー源であり、リボソームはタンパク質の合成を担当している。

 ゴルジ体には、リボソーム上で合成されたタンパク質に糖の鎖をつける役割があり、それによってタンパク質の性質を変え、細胞間でタンパク質のやりとりができるようにしているのである。

 ふつう、DNAは核の中だけにあると思っている人もいるかもしれないが、じつは、ミトコンドリア葉緑体の中にもDNAは存在している。

 生体を生命体にならしめるなんらかの力は内在していなかったということである。ということは、その力はあとから入ると考えるしかない。事実、私の実験でも、できた生体はしばらくの間、静止していたあと、突然、動きだしたのは、あとからなんらかの力が生体に移入したからである。

 なんらかの力、つまり、ある種のエネルギーが生命体を誕生させるのであり、そのエネルギーこそが生命の本質であると私は考えている。これが、生命体発生実験から導かれた私の仮説であり、再実験では、発生した「生体」が、DNAでも何でもいいから他の有機物を取り込むのを確かめてみたいと思っている。

 生体にエネルギーが「移入」して生命体となる

 現在、目ざましいスピードで進められているDNAの研究は、生命の設計図を明らかにすることはできるが、生命の起源を解き明かし、その“本質”を究めることには限界があると私は考えている。

 無機物が有機物になり、やがて生命体となり、さらに進化して意志や意識をもつようになる…この神秘的な現象に秘められた“生命の本質”に、どう切り込んでいったらいいのだろうか。

 このエネルギーの凝集体が生命であり、生体に、生命の本質であるエネルギーが移入されて、はじめて生命体となるのではないか。そして、これは直観としかいいようがないが、そのエネルギーは意志と意識をもっている―こう考えなければ、発生した生体がある日突然、固有の動きをはじめることの説明がつかない。

☆神の理念 


細胞や器官が集まって人間や動物という個体ができるわけだから、個体にもエネルギーが移入しているということになる。
 言い換えれば、細胞ひとつひとつは独自の機能を果たすようになっており、その細胞同士は全体の役に立つよう、独自の判断で機能し、かつ互いにコミュニケーションをはかっているということである。
 動植物や人間などの多細胞生物は、各細胞にエネルギーが移入して独自の機能を果たしており、それぞれが有効な情報交換をおこなっているとすると、たとえば、手や指の場合も、一時も休まずにそこで情報交換がおこなわれていることになる。

 こうした考え方が、私たちの一般常識として受け入れられない唯一の理由は、たとえ細胞同士、器官同士が生き生きと情報交換という会話をしていても、その内容が個体としての人間の脳に伝達されない以上、私たちにはそのやりとりを認識することができないからである。

 量子力学では、E=エネルギー、h=プランク乗数、v=振動数とも表す。これは、電子や光などの微小エネルギーの場合に用いる式だが、この式から、エネルギーは振動数、つまり、振動数(波動)と表現できることがわかる。

ノーベル賞を受賞した朝永振一郎博士は、その世界的名著である「量子力学」の中で、「物理現象の本質は振動数で整理するもの」と述べている。

 たとば、ウォーン、ウォーンという音のうなり現象は、振動数がわずかに違う音の音波数の相互作用で起こる。津波も、地震波の振動数の相互作用の結果なのだ。

 すべての物質は、振動波を出しているのである。物質は絶対○度でも固有振動をする。この振動による波を物質波というが、振動数が高すぎて、いまの技術では測れない。

 このように、人間も、動植物も、岩も建物も机も、ありとあらゆるものが振動数を出しており、その相互作用の結果が現象となって現れるのである。

 人間に置き換えると、想念も振動数であると考えることができる。話が少々飛躍するかもしれないが、たとえば、病気になったとき、「治るぞ」と強く思った人は、「どうしよう」とか「ひょっとしてガンなのではないか」などと落ち込む人に比べて、治る確率が高いというデータがある。なかには、病巣がすっかり消えていたという人もいるそうだ。

 これは、思いや想念が振動波となって、病巣に作用した結果であると考えられる。心理療法が医学で認められているのも、想念や意識といったものが振動波となって作用することがわかっているからだろう。
     人間の五感では知り得ない現象とは この五感の中でも、とくに視覚はもっとも重要な器官であり、人間は外界から受け取る情報の八○パーセントを視覚から得ているといわれている。

 宇宙には、光という波があるだけでなく、光よりもっと波長の長い波や、逆に短い波もあり、人間が見ることができるのは、そのうちのほんの一部の可視光線と呼ばれているものにすぎないのだ。

 ところが、光は電磁波であり、数多くある電磁波の中のほんの一部にしぎない。もしも、人間の目が、可視光線以外の電磁波を見ることができたら、おそらく、まったく違った世界が目の前に広がっていたことだろう。

 同じことは、視覚以外の感覚器官についてもいえる。ということは、人間が五感によって知ること、感じることのできる範囲はきわめて狭く、かぎられているということである。

   無機物にもエネルギーは移入している? 仏教の教えの中に、草木国土悉皆成仏」という言葉がある。生命の本質であるエネルギー死という概念はない。
 エネルギーが、どの個体に移入し、どのくらいその個体にとどまっているかを、エネルギー自身の意志で決定したものが寿命といっていい。