大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一氏
 病院では、最後まで何かと処置をします。いや、しなければならないところですから、「自然死」はありえません。在宅における死も、ふつうは病院医療を引き継ぎますから、ほとんど「自然死」はないといっていいでしょう。

 また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしょう。しかし、それは、穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです。ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。

人間が自然に死んでいく姿を、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、いい出すのです。「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。

世の中で、一番の怖がりは医者でしょう。それは悲惨な死ばかりを目のあたりにしてきたせいだと思います。軽い病気で病院に行って、重い病気をお土産にもらって変える可能性は充分にあるのです。

 ・ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる
・薬を飲まないことには病気はよくならない
・病名がつかないと不安
・医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない
・医者は病気のことなら何でもわかる

☆副作用のない薬はない

介護の“拷問”を受けないと、死なせてもらえない。死に際の苦しみには医療による“虐待”ばかりではありません。介護による“拷問”もあるのです。それも、いい看取りを行っていると自負のある介護施設で起こりがちなのです。「できるだけの手を尽くす」は、「できる限り苦しめる」。

「がん」で死ぬんじゃないよ、「がんの治療」で死ぬんだよ。

 フィンランドで、75歳〜85歳までの降圧剤を飲まない男女521人の経過をみた調査では、80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上に人たちの生存率がもっとも高く、逆に140を切った人たちの生存率は、非常に低くなっています。