フィルモアの考え

 フィルモアによると、神がすべてを創造せられた時、「信仰」をもってつくられたのであって、神は人間と大宇宙とを信念をもって心に描き給い、その神の信仰によってこれらのものが実在となったのであると言うのであります。

人間は神に似せてつくられた神の子なのであるから、人間の創造も信仰の上に立つものでなければならない。

実際、真にあるものは神にその起源があるのであるから、「信仰」が人間に於ける実在的要素であれば、その信仰の原型は神にあるものであると考えられるのであります。

 最も新しい科学は「見えざる力」があらゆる物質的力の幾百万倍も強大であり、且つ実在的であり、実体的であるということを説いているのです。

科学と宗教とは、もはや対立するどころか、科学が漸次「真の宗教」のき所説を証明しつつあるのです。或る科学者は物質は単に宇宙にみつる実体の裂け目にすぎないと言っているのであります。

サケ目には何もないのであって、物質というのはあるかと思ったら実は無いのであって、あるのは目に見えない霊的実体の法であるという事を逆説的に言っているのです。吾々はこの霊的実体を心であらわし出すことが出来るのであります。

心が奥に働いて、物質がその影としてあらわれて来るのであるから、吾々が神の心と同じ心を起すならば、神の国が地上に出現して来ることは明かな法則であります。

 そこであなたは次の如く自分自身に言いきかすのであります−「私は神の噴泉である。私は神の考え給う如く考える。それ故私はいかなる欠乏も限定も考えないのである」と。

普遍的な神の心があらゆるところに充満しているのであるから、欠乏とか不足とか空無などはあり得ないのです。

したがって吾々はいかなる欠乏をも克服する必要はないのであって、ただ欠乏を恐怖する心を遠離すればよいのであります。


腐敗した検察もう一つの重大犯罪と全面可視化『知られざる真実』を転載