ミトコンドリア・ミステリー

       私たちの体内にいる別の生物 

どんな細胞でもよい。顕微鏡で覗くと、まず丸い細胞核が目に留まる。この中にDNAが折りたたまれて格納されている。しかし、それは通常の光学顕微鏡では見ることができない。

細胞核の内部はぼんやりとした粒上の溶液で満たされているようにしか見えない。次いで目につくのは、多数、細胞内に散在している楕円形の粒子である。よく見ると楕円の内部には、剪定された英国指揮迷路庭園のような秩序ある複雑な文様が見える。

 秩序には美があり、知性がある。この粒子を最初に見つけた十九世紀の科学者アルトマンは「生命の本体はこの粒子にあり、細胞は彼らが自らを守るために作り出した要塞である」と考えた。この楕円形の粒子に、アルトマンはギリシャ語で「綾なす微粒子」と名付けた。ミトコンドリアである。 

ミトコンドリアは確かに生命の本質にかかわる、つまり酸化によってエネルギーを産生する粒子である。ジェダイでなくとも、誰の身体にもあまねく存在する。その数は細胞の種類によって異なるが、多い場合は一つの細胞内に数千個にもなる。人体は約六○兆個の細胞からなっているから、私たちの身体には京という単位の、おそろしく膨大な数のミトコンドリアが棲息していることになる。

 ミトコンドリアは、細胞内のエネルギー生産工場であるがゆえに、常に活性酸素にさらされる。活性酸素は両刃の剣として、時にミトコンドリアDNAを傷つけることになる。これが私たちの老化現象と密接に関係していることが最近明らかになってきた。

 ミトコンドリアを見つめると、私たち生命のミステリーが解き明かされる。進化も、性の発生も、人類史も、そして老化もまたミトコンドリアのなせる業なのである。

 ミトコンドリアのもとになった小型の細菌は、その酸化能力を使ってエネルギー(ATP)を作り出し、大型細菌に供給する。宿主側の大型細菌は、小型細菌をその体内に守り、必要な栄養素をすべて分け与える。 だからミトコンドリアがパラサイト=寄生虫である」という言い方は正確ではない。

 規制は片務的、つまり寄生する側が一方的に宿主から利益を得る。人間と回虫などの寄生虫にみられるように、宿主には被害こそあれ、利益はない。しかし、ミトコンドリアとその宿主細胞は相互恵与によって共生しているのである。
        葉緑体も別の生物だった 

 つまり、真核生物(細胞内に細胞核を有する生物−動物、植物、菌類、厚生生物など)はミトコンドリアを体内に取り込み、共生関係を築き上げることで、より高度な生物へと進化し始めたのである。

 植物は、その細胞内にミトコンドリアとともに葉緑体を存在させている。これによって光合成を行い、生存、生長に必要な炭水化物を合成しているのだが、その葉緑体ミトコンドリア同様、もともとは別の生命体だったものが、より大型の細胞に取り込まれて共生するに至ったとされている。

     ミトコンドリアDNAで母系をたどれる

 卵子精子が出会って合体するとき、精子からはそのDNAだけが卵子の中に入る。精子ミトコンドリア卵子に入り込まない。だから新たにできた受精卵の内部のミトコンドリアはすべて卵子由来、つまり母親のものである。

 母系由来のミトコンドリアは受精卵の中で分裂し増殖する。そして、それが受精卵の成長とともに各細胞へと分配されていく。したがって、ミトコンドリアはすべて母系由来である、ということになる。

 自然界は渦巻きの意匠に溢れている。巻貝、蛇、蝶の口吻、植物のつる、水流、海潮、気流、台風の目。そして私たちが住むこの銀河系自体も大きな渦を形成している。

 私たちは人類の文化的遺産の多くに渦巻きの文様を見る。それは、人類史の中にあって、私たちの幾台もの祖先が渦巻きの意匠に不可思議さと興味、そして畏怖の念を持っていたからに違いない。

 渦巻きは、おそらく生命と自然の循環性をシンボライズする意匠そのものなのだ。そのように考えるとき、私たちが線形性から非線形性に回帰し、「流れ」の中に回帰していく存在であることを自覚せずにはいられない。